日本に来たばかりの潤慶まだあんまり言葉分んないから
英士はお母さんから「あなたが助けてあげるのよ」って言われるんだけど
あのよくわからんカリスマ性でもって初日から友達に囲まれて楽しそうにしてる潤慶を目撃し
ほったらかして帰ってきたらお母さんに怒られて
なんで俺が怒られなきゃいけないわけ!?ってイライラもやもやするし
またある日家帰ったら潤慶が友達大勢連れ込んで遊んでてドアそっ閉じするし
一馬と結人だけは取られまいといらん焦り募らせたりするじゃん?
ありとあらゆるところでコンプレックス刺激してくるからたまんないね
だから潤慶の苦労や努力は
当時の英士にはあまり見えてなかったんじゃないかなぁ
…いや分かってる潤慶が英士と一緒に住んでたなんて公式は一言も言ってない
けどそうじゃないとも言われてないだってそんな、都合が良すぎる
2年間…同じ玄関から…同じ小学校に通っただなんて…
さてここから全然関係のない考察に入りますけど(潤英祭ィ!) 英士の通う雑司が谷南中があるからには北中もあろうということで、リアルに当てはめると 雑司が谷北中は旧雑司が谷中学、雑司が谷南中は旧高田中学と考えます。となれば英士は小学校も旧高田小です。
あの辺りの小中学校って2000年前後にすごい勢いで統廃合されていて、英士はその混乱期に一番振り回された世代ということになるのがめちゃくちゃ面白いです。
英士が中3になるタイミングで高田中と雑司が谷中が統合して千登世橋中になるんですが、千登世橋中が現在の場所(旧高田中)に新校舎を建てるための2年間、旧雑司が谷中(現南池袋小)の校舎を使っていた暫定期間に中3を過ごしたことになる。
で、英士が高1になるタイミングで雑司谷小・高田小・日出小が統合され、南池袋小となります。統合後3年間は高田小の校舎を使い、その間に千登世橋中学が現在の新校舎に移動するのを待ってその跡地に新校舎を建てて現在に至ります。
ややこしいですがつまり小学校も中学校も、英士の通った場所には通った学校が残っていないという有様。
廃校後も長らく残されていた旧高田小校舎も2018年春、いよいよ解体工事が始まります。
いや分かってる分かってる 英士の母校は雑司が谷南中学でその雑司が谷は別次元の雑司が谷だ 分かってるよ
ちなみに雑司が谷南中=私立(立地も制服も完全に学習院)という解釈も素敵なんですが、そこはやはり区立を推したいです。理由としては、いかにも公立らしい学校名なのと、サッカーエリートとして将来の進路を見据えた時に強豪でもない中高一貫の私立校という選択は賢明とはいえない気がすることと、なにより私立だと「郭くんちは雑司が谷」の根拠が揺らぐから、です!!!!
ただ逆に樋口先生的にはモデルの学習院ありきで雑司が谷という設定にしたのだと言われたらむしろ腑に落ちるところです。
だってそうでもなけりゃ何がどうしたらあのキャラからいきなり雑司が谷なんて発想が生まれるのよ?
これ前にも言ったことあるんだけど、瀬田にしろ野上町(青梅市)にしろ、町のイメージがキャラ解釈に与える影響はとても大きくて笛の二次創作の醍醐味とさえ思っているんだけど、実際に樋口先生はその設定にどんな想いを込めたのだろう。漫画の中では描かれなかった彼らの何かがそこから見つけられるのではないかと信じている。
今でこそ“若者も注目するお洒落レトロタウン”みたいな謳われ方してますけど、笛連載当時の雑司が谷によって私の中の郭英士は決まったのだ。私の中の郭英士はいつまでもあの頃のあの町にいるのだ。
ランドセルに対する意識の地域差
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