1996年2月の雪の日、潤慶まだ日本にいたかな。
2年という日本滞在期間は最初から決まっていた事なのか
どこかのタイミングで期限を知らされたのか
雑司が谷での同居説を推すなら最初っから分かってたパターンの方が自然だと思ってるけど
突然リミットを知らされるパターンも捨てがたい。
潤は知ってて英士は知らないとか、潤と英士は分ってて結人と一馬は知らないとか、
そういう段階をじわじわと踏んでいこうじゃないか。
いずれにせよ、いつか韓国に帰るのは分かっていたことで。
潤慶の言動の端々からきっと英士も気付いてただろうけど
英士が思ってるよりもずっと潤慶はそのことを意識して2年間を過ごしたと思うよ。